今回の記事で参照した裁判例は、A社事件(東京地判平成30・5・25労判1190号23頁)です。
【テーマ】パワハラが「労災」の問題となる基本的な枠組みを理解しましょう
1.概要
今回は,パワハラが原因でうつ病を発症した労働者が,発症は「労働災害」に当たるとして,労働者災害補償保険法(労災保険法)に基づく給付を求めた事例です。
2.事案の流れ
XはA社に入社後,グループ会社に出向し不動産関係の業務に従事していました。XはA社及び複数のグループ会社の代表取締役を務めるBから下記3のようなパワーハラスメントを受け,うつ病を発症して休職した後,休職期間満了によって退職します。
なお,業務が原因でケガをしたり病気になったりした場合,労働災害(労災)として,労災保険から休業補償給付(労災保険法14条)などの支給を受けることができます(休業補償の額は給付基礎日額〔※1〕の6割です。さらに給付基礎日額の2割の休業特別支援金も支給されますので,毎月の賃金のおおよそ8割がカバーされます)。
労災保険給付を受けたい場合は,労働基準監督署(労基署)の署長宛てに申請を行います。労基署側は,業務が原因といえるかを判断し,署長名で支給または不支給の決定を行います。今回のような精神疾患については,厚生労働省の認定基準「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(平成23・12・26基発〔=労働基準局長通達〕1226第1号)に基づき判断がなされます(※2)。不支給とする処分に不満がある場合,最終的には訴訟でその処分の取消しを求めることになります(事件名は「国・○○労基署長(労働者が勤務していた会社名)事件」と付けられます)。
上記の「認定基準」によると,①対象となる疾病(うつ病も当然含まれます)を発病し,②発病前おおむね6か月間に業務による強い心理的負荷が認められ,③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により発病したとは認められない場合,労働災害と認められます。②については詳細な「業務による心理的負荷評価表」が定められており,具体的な出来事の平均的な心理的負荷の強度がⅠ,Ⅱ,Ⅲにランク付けされ,例えば「上司とのトラブルがあった」はⅡ,「(ひどい)嫌がらせ,いじめ,又は暴行を受けた」はⅢ,「退職を強要された」はⅢとされています。これに基づく総合評価で,心理的負荷が弱・中・強で「強」と判断された場合,上記②を満たすとされます(原則として出来事のIは弱,Ⅱは中,Ⅲは強に対応しますが,事案の具体的な内容に基づき評価がなされます)。
さて,Xは退職後,うつ病は労災であるとしてさいたま労基署長に休業補償給付を請求しますが,業務上の傷病とは認められないとして不支給とされたため,その不支給処分の取消しを求めて訴訟を提起しました。
※1:給付基礎日額とは給付額の算定に使われる数値で,その労働者の「平均賃金」に相当します(労災保険法8条)。平均賃金は,ボーナスなどを除く直前3か月間の賃金総額を平均した1日分です(労基法12条)。
※2:詳細については厚生労働省Webサイト
https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/120427.htmlなどが参考になります。
3.ハラスメント行為
ⓐ仕事上のトラブルが発端となり(真意ではないものの)Y社を退職する旨の申出をしたXが,その後,退職の申出の撤回をBに申し出たにもかかわらずBがこれを認めなかったこと,ⓑその他,BからXに対し複数の暴言があったことが認定されています。
4.裁判所の判断
まず,「認定基準」は行政庁内部の通達にすぎず法的な拘束力は認められないものの,その内容には合理性があり,認定基準に該当すれば,特段の事情がない限り,業務起因性(業務を原因とする病気等であること)が認められるとしました。
その上で,ハラスメント行為ⓐは「業務による心理的負荷評価表」の「退職を強要された」に当たり,その心理的負荷の程度は「強」と認められるから,Xのうつ病発症前おおむね6か月間の心理的負荷の程度は「強」と認めるのが相当であるとしました(なお,行為ⓑについても,「上司とのトラブルがあった」に当たる心理的負荷の程度「中」の出来事が複数あったと認めました)。また,Xはプライドが高く,(退職を申し出るなど)直情径行的な面があることは否めないものの,その性格傾向が発病の主要な原因として影響したとは認められないとして,業務以外の負荷や個体側(つまりX側)の要因によって発病したことを否定しました。結論として,Xのうつ病は「認定基準」の①~③をすべて満たす業務上のものであるとして,不支給処分を取り消しました。
5.本判決から学ぶべきこと
今回の事例は労災の不支給処分の取消訴訟という構造であるため,これまで取り上げてきた加害者や企業が賠償責任を問われる事例と比べ,わかりにくい面もあると思います。しかし,ハラスメントがきっかけで労災の問題となるケースも増えており,実務上の重要度も高まっています。そこで連載20回を機に,今回から労災も取り上げていくことにしました。ハラスメントの場合は今回のように精神疾患の事例が多いので,労災か否かの基本的な判断枠組みをまず理解しましょう。本件では,事実の認定・評価の違いによって,行政の判断と裁判所の判断が異なる結果となりました。
なお,企業としては,労災と扱われることに抵抗感があるかもしれません。労災保険料も,簡単に言えば労災が発生すれば上がり,発生しなければ下がります(メリット制)。しかし,労災保険が給付される分については,労働者に対する損害賠償責任(休業補償や治療費など)を免れることができる,という意義もあります(労基法84条)。労災事案が起こってしまった場合は,労基署による調査等に真摯に向き合うとともに,社内で再発防止策をきちんと講じていくという姿勢が重要であると思われます。
(2019年3月)
原 昌登(はら まさと)
成蹊大学 法学部 教授
1999年 東北大学法学部卒業
専門分野 労働法
労働法の分かりやすい入門書(単著)として、『ゼロから学ぶ労働法』(経営書院、2022年)、『コンパクト労働法(第2版)』(新世社、2020年)。ほか、共著書として、水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版補訂版)』(有斐閣、2019年)など多数。
労働政策審議会(職業安定分科会労働力需給制度部会)委員、中央労働委員会地方調整委員、司法試験考査委員等。
ほか、厚生労働省「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」委員(2017~2018年)等も歴任。