今回の記事で参照した裁判例は、Y銀行(パワハラ自殺)事件(徳島地判平成30・7・9労判1194号49頁)です。
【テーマ】窓口への相談がなくても,ハラスメントへの対応が必要な場合があります。
1.概要
今回は,社内の相談窓口にパワハラの相談がされていなかったとしても,使用者に「安全配慮義務違反」が成立するとされた事例を紹介します。
2.事案の流れ
Aは大学卒業後の平成9年4月に当時のL省に採用され,その後の民営化に伴いY銀行の従業員となり,平成25年7月から事務センターで各種業務や問い合わせ対応等を行っていました。Aは書類の確認漏れなどの形式的なミスが多く,上司(主査)のB,Cからたびたび注意されていました。AはB,Cよりも上位の上司(係長)のDに異動を訴えますが実現せず,同僚に職場のことを「地獄」等と書いたメールを送ったり,母親のXや妹のEにB,Cがひどい上司であると話したりしていました。ただ,AはY銀行のハラスメント相談窓口にB,Cからパワハラの被害を受けていることを訴えることはなく,親しい同僚のFらと外部通報や告発を検討したものの,結局は行いませんでした。平成26年7月頃,同じ業務を担当していた主任の交代をきっかけにAが電話を取る回数が増え,それに伴い書類上のミスも増えたため,B,Cから日常的に強い口調で叱責されるようになりました。Aは平成27年3月頃から妹Eや同僚Fにしばしば死にたいと訴えるようになり,Fはその旨をB,C,Dに知らせましたが,Bらは真剣に受け止めず,聞き流していました(ただ,DはAが痩せるなど疲れているという印象を受けており,体調不良が気に掛かっていました)。平成27年6月,Aは帰省した実家で自殺しました。母親XはAの自殺はパワハラが原因であると主張し,Y銀行に使用者責任(民法715条)または安全配慮義務違反等の債務不履行(民法415条)があるとして約8189万円の損害賠償を請求しました。
3.ハラスメント行為
Aに対しBから「ここのとこって前も注意したでえな。確認せんかったん。どこを見たん」,Cから「何回も言ようよな。マニュアルをきちんと見ながらしたら,こんなミスは起こるわけがない」などと日常的な強い叱責があったこと,そして,F等から「こう」と呼ばれていたAについて,「こうっ」と見下すように呼び捨てにしていたことなどが認定されています。
4.裁判所の判断
まず,使用者責任について,ミスを指摘し改善を求めるのはB,Cの業務であり,叱責が続いたのはAが頻繁にミスをしたためであって,何ら理由なくAを叱責していたわけではないこと,B,Cの具体的な発言内容はAの人格的非難に及ぶものではないことなどから,B,Cの叱責が業務上の指導の範囲を逸脱し,社会通念上違法であったとまでは認められないとして,両名の不法行為責任を否定し,その不法行為責任を前提としてY銀行に発生する使用者責任についてもこれを否定しました。
次に,債務不履行責任については,B,Cによる日常的な叱責はDも十分に認識しており,Dら上司はAの体調不良や自殺願望がB,Cとの人間関係に起因することを容易に想定できたから,Aの心身に過度の負担が生じないようにAの異動も含め対応を検討すべきところ,担当業務を一時的に軽減する以外の何らの対応もしなかったのであるから,Y銀行には安全配慮義務違反(労契法5条)があったとしました。また, Aがパワハラの相談や外部通報等を行っていなかったとしても,AとB,CらのトラブルがY銀行においても容易にわかりうる以上,Aに対する配慮が不要であったとはいえないとしました。結論として,債務不履行(安全配慮義務違反)を理由に,慰謝料など総額で約6142万円の支払いをY銀行に命じました。
5.本判決から学ぶべきこと
今回のポイントの1点目は,労働者が相談窓口等を利用していなかったとしても,上司の側(つまり企業側)で,Aの体調不良等の原因がBらの叱責にあったことを認識しうる以上,対応しないことは許されない,と判断された点です。相談を理由に不利益な取扱いを受けることや,加害者に知られ報復されることなどを恐れ,相談というアクションが起こせない場合もあると思われます。「相談に来ていないから問題なし」という姿勢ではなく,職場にハラスメントや問題となる言動がないか,常に注意を払うことが企業に求められます。
ポイントの2点目は,上司による叱責それ自体は不法行為に該当しないにもかかわらず(人格を非難する言動ではなかった点が考慮されました),その後の企業側の対応が十分でなかったことから,安全配慮義務違反が肯定された点です。裁判所は,「パワハラ」を定義してそれに該当するか否かという判断枠組みではなく,端的に不法行為や安全配慮義務違反等が成立するか否かを問題としています(→本連載〔第2回パワハラか否かの認定のポイント〕も参照)。Bらの叱責それ自体がパワハラか否かは明言されていませんが,Aの体調不良等の原因になったことは事実であり,指導として問題があったことは否定できません。結局は企業が賠償責任を負うことになっていますし,適正な指導のあり方を探究していくことが重要です。
なお,2019年5月に労働施策総合推進法等の改正が成立し,パワハラが法律で定義(注1)されるとともに,セクハラ等と同じ防止措置義務を企業等に課すことなどが決まりました。この定義はもちろん重要ですが,定義に該当するか否かにかかわらず,問題といえるような言動があれば今回のように企業に賠償責任が生じる可能性があります。注意が必要ですね。
注1
職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって,業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること(労働施策総合推進法30条の2第1項)
(2019年7月)
原 昌登(はら まさと)
成蹊大学 法学部 教授
1999年 東北大学法学部卒業
専門分野 労働法
労働法の分かりやすい入門書(単著)として、『ゼロから学ぶ労働法』(経営書院、2022年)、『コンパクト労働法(第2版)』(新世社、2020年)。ほか、共著書として、水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版補訂版)』(有斐閣、2019年)など多数。
労働政策審議会(職業安定分科会労働力需給制度部会)委員、中央労働委員会地方調整委員、司法試験考査委員等。
ほか、厚生労働省「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」委員(2017~2018年)等も歴任。