ビジョナリー対談神田神社 宮司 清水 祥彦氏

Vol.13 神田神社 宮司

今回のビジョナリー対談では、弊社代表・岡田康子が、神田神社宮司 清水祥彦様 と『神道に学ぶ現代社会のあり方』について対談させていただきました。対談の動画は4部構成(約10分)です。神田神社や神田祭の歴史、神社の意義、古来より神道が持つ多様性など、私たちがこの時代に生きるヒントをたくさんいただきましたので、ぜひ、お楽しみください。

第1部

  • 00:00 クオレ・シー・キューブ ビジョナリー対談
  • 01:33 神田明神の歴史
  • 03:24 「場」としての神田明神
  • 06:36 徳川幕府の結界であった神田明神

クオレ・シー・キューブ ビジョナリー対談

岡田康子 クオレ・シー・キューブ(以下、岡田):
今回は、神田神社の宮司でいらっしゃる清水祥彦様にお話を伺います。

今、社会が変わって、戦争もあって私達は、改めて「命」というものに一人一人が向き合わなければならない時代に来ていると思います。

昔から疫病や戦いはあったと思うのですが、そういう中で神社は人々の心の拠り所だったと思います。今この時に、私たちは神社から教えていただくことがたくさんあるのではないかということで、今日はお伺いいたしました。どうぞよろしくお願いいたします。

まずはじめに、神田神社の歴史と位置付けについて、少し教えていただけますか。神田神社、神田明神、どのようにお呼びするのがよろしいのでしょうか…

神田明神の歴史

清水氏:
神社の名前は、法人として登記してある名称が、私どもでは「宗教法人神田神社」でございます。しかし伝統的な形では、俗称として、江戸時代から「神田明神」「明神様」が圧倒的に人々には伝わっています。

神田明神は1300年という長い歴史を持った、東京でも最も古い神社の一つでございます。そうした長い歴史の中で、様々な変化、また、時代の流れに対応して参りました。ご祭神、神様の歴史も、短い時間では語り尽くせないほどの様々な変化の上にこの神社は受け継がれて、現在に至っております。

岡田:
さきほども参拝させていただいて、ああいう空間でちゃんと神様の前に座ることで、清らかな気持ちを持つ、そういう時間は必要だなと改めて思いました。空間がまた素晴らしいですね。

「場」としての神田明神

清水氏:
やはり「場」と「空間」というものが、神社にとっては最も大事な要素でございます。神田神社は、現在、外神田2丁目という場所にあって、この場所は江戸城・皇居から見まして、ちょうど丑寅の鬼門の方向に当たります。江戸城を作るにあたって、徳川幕府は天海僧正という方を中心に、鬼が入ってくると一番恐れられた方向、鬼門に、この神田明神と上野の寛永寺を配置したわけなんです。それによって、明治維新の歴史でご存知の通り、最後に彰義隊が立てこもったところが徳川家の菩提寺である寛永寺で、そこで幕府が幕を閉じたわけです。この「場」も、何気なく選ばれてるものではなく、古代からの、風水をはじめとする様々な知恵を、方向・方位そういったものの上に、選ばれ、聖なる場所として、長い年月、多くの方々の祈りを集めてきた。そういったことも、お参りの折に感じていただければと思います。

岡田:
神田明神はもともとは、将門公の首塚のある辺りにあったのでしょうか?

清水氏:
もともとは、今から400年以上前までは、神田明神は大手町1丁目にございました。いわゆる三井物産のご本社が建っている隣に、将門公の首塚がございます。そこが神田明神の発祥の地で、創建の地です。しかし残念なことに、江戸城拡張にあたり、幕府が不便を感じたものですから、徳川家において江戸を守る上で一番大切な位置に、この駿河台の丘の上、鬼門の延長線上である方向に、神田明神を400年前に移転したという歴史がございます。

岡田:
そういう意味では幕府と非常に深い関係を持っていたということでもあるんですね。

徳川幕府の結界であった神田明神

清水氏:
徳川家にとっては、この平将門様という神様、いわゆる古代の関東の英雄を祀るということが非常に大きな意味を持っていたんです。

それはなぜかというと、徳川家は、京都の朝廷から征夷大将軍という称号をいただいた、簡単に言えば、一将軍でしかありませんでした。そのため、いかに日本の政治の主権を取っていくかということにおいて、京都の朝廷を牽制しながら、江戸の政権としてのしっかりとした自立の基盤をつくる戦略を練っていきました。そのなかで、江戸の一番強力な、古代関東の「反逆児」とも言われた平将門公こそが徳川家の守り神であり、江戸の守護神であるという位置付けを、初期の都市計画の中に落とし込んでいきました。江戸っ子たちは「将門公こそが、江戸の庶民の守り神である」という思いを最後まで、明治維新の折、官軍が西から押し寄せてくるまで、その抵抗の心を、神田明神・寛永寺を結ぶラインに込めていたのです。神田明神がここにあるのは、徳川家の巧みな戦略、思想的な結界、そうした都市構想の結果であることに気が付いていただければ幸いです。

第2部

  • 00:00 未開の地の拠り所 神田明神の起源
  • 02:36 神社は祖先を祭るもの
  • 03:43 1300年続いてきた神田明神、神道の文化に学ぶ
  • 08:03 時代とともにある神道とその文化

未開の地の拠り所 神田明神の起源

清水氏:
そもそもだいこく様は、出雲大社・出雲の国づくりをなされた古代の神様です。当時、古代の社会において、未開の地である関東に出雲系の優れた文化を持った方々が、関東の方へ進出をなされて、自分たちの祖先神を祭っていた、それがこの神田明神の痕跡、元、と言われております。

関東の人間の間では、平安時代からの律令体制という古い政治体制が混乱して、崩壊して新しい武家社会を迎えるにあたって、関東の自由と関東の苦しむ貧しい民のために、関東の人々の政権を立ち上げんとした将門公こそが、希望の星であり、救い主であるという思いが古くから根づいていたんです。

徳川家は、それを戦略的構想の中に上手に練りこんで、神田明神を江戸総鎮守として大切に祭ってきました。

出雲の神も、ご存知の通り、天照大御神を中心とする天津神と、だいこく様・国津神という対称でございます。そういう意味でも、対京都の朝廷というのを非常に意識した神様を選んでいるという歴史があるんです。

岡田:
その頃は関東はまだまだ未開の地だった。そこに、中心となる、心の拠り所となるのが、この神田明神さんだったということですね…

神社は祖先を祭るもの

清水氏:
そうですね。今でも氏子さん・氏神様と言いますけれども、もともと神社というのは、自分たちの祖先を祭る、祖先の神をお祭りするものだったのです。

ですから、藤原氏からすれば春日大社で自分たちの祖先神をお祭りする。天皇家にとっては天照大御神をお祭りする。そして出雲系にとってはだいこく様をお祭りする。そのように、神社には自然を崇拝する歴史もあるのですが、もともとは自分たちの血筋を崇拝する、そうした原理が神々の信仰のもとでもあったということ。それも、日本の歴史というのは非常に複雑で、高校や大学の授業で習う歴史とは違う、もっと深い様々な思いが込められている文化だということに少しでも気づいていただければありがたいです。

岡田:
神田明神は、時代に合わせて柔軟に変化してきて1300年経つということで、これは企業にとってもすごく学びになると思います。何かその辺りでメッセージはおありでしょうか。

1300年続いてきた神田明神、神道の文化に学ぶ

清水氏:
今「SDGs」、「サスティナビリティ」が脚光を浴びていますけれども、日本人にとっては、日本の心の文化として、サスティナビリティの極致であるものが日本の神道だと私は思っています。

そして、日本人の場合、ほとんどの方はあまり宗教というものを意識しない。お葬式のときにお寺様にお世話になったり、結婚式で教会にお世話になったり、その程度という方が圧倒的多数ではないかと思うんですが、日本の宗教人口は2億人以上いると言われておりまして、ほとんどの方が神社とお寺に、何らかの形でご縁があって、神社で言えば、お宮参りをされたり、また結婚式をされたり、成人式のお祓いを受けたり、厄除けを受けたり、そういうご縁がある。

そういうご縁を持った文化であり、信仰なのですが、それはキリスト教の信仰など、いわゆる一神教の信仰とは全く違い、多神教と言われている、たくさんの神々が、お互いが併存しながら、仲むつまじく、時には神話の中に書かれているように、神々のけんかもありますけれども、それでも仲むつまじく協調性を持って、一つの「豊葦原の瑞穂の国」という理想の国づくりのために、協力をしていくというのが、日本の神話のストーリーであり、文化の歴史なんです。

そういう意味において、神道というのは、多元的な価値感の共有を常にしてきたということなんです。自分だけが正しい、いわゆるキリスト教で言えば「唯一絶対の神」ですとか、イスラム教で言えば、同じく、自分たち、自分の神様以外は一切違うという、そういう考え方ではない教えなんです。神道というのは、多元的な価値の併存を私ども神社が常に許容しながら、柔軟に受け継いできた文化であるということを知っていただきたいです。

ですから、今ウクライナで起きております戦争も、ロシア正教の中でも様々な派閥がありまして、宗教的な戦争の側面もありますし、アフガニスタンもそうです。日本というのは割と宗教的な戦争というものが限定的な形でしかなかった。それはある意味、多元的な神々が時に喧嘩をしつつも、最終的には仲むつまじく、力を合わせていくという、そうした日本神話のストーリーに基づいた国づくりをしてきたがゆえということ。ある意味、柔軟な文化を、私たちは祖先から受け継いでいるということに気が付いていただきたいです。

岡田:
今「ダイバーシティ経営」ということで、一人一人の多様性を認めましょう、経営そのものも、多様な経営をしていかなければいけないし、そこにいる人たちも、多様な価値を認めていくという考えで随分と動いています。そういったものも、私たち日本人にとっては、そもそも神様から始まって、ダイバーシティを許容する、そういう民族でもあったということなのでしょうか…

時代とともにある神道とその文化

清水氏:
そうですね。SDGsのサスティナビリティもそうですけれども、私たち日本人が、祖先から受け継いできた文化というのを、横文字の新しい概念ではなく、日本の古い文化の中にもう一度再発見をして欲しいと私は思うのです。

多元的な価値観の併存を許す社会というのは、日本人のそうした多神教ならではの文化であったがゆえ。仏教を受け入れた時も、仏教と戦争をすることなく、ほぼ受け入れることができましたし、今では、カトリックの方などは、子供に七五三をすることもありますし、祖先崇拝を本来否定するキリスト教の文化でも日本ではだいぶ柔軟になってきている。

我々は優れた技術を、欧米のものから、横文字を通して学んできたことも明治維新以降、事実なのですが、そういったものも実は私たちが内在している優れたものであることを再発見していくこと。これがもっともっと必要なのかなと私は思っています。

岡田:
そういう意味でも「江戸の町のSDGsに学ぶ」という、パンフレットを出していらっしゃいますけれども。循環型社会であったということなんですね…

第3部

  • 00:00 江戸に学ぶ社会のありよう
  • 02:13 神様に対する思いは「感謝」
  • 02:44 神社のレゾンデートル(存在価値・存在意義)
  • 04:15 宗教とは何か、を考える。
  • 06:01 「勤労観」をあらためて定義する。

江戸に学ぶ社会のありよう

清水氏:
江戸の社会というのは大体250年ぐらいありました。その間、鎖国や飢饉もありましたけれども、約3000万人ぐらいの人口が続く、安定した社会を、私たちの祖先は選びとっていました。いわゆる近代化によって私たちが高度成長して、常に右肩上がりの発展というものを前提とした社会を築いてきたわけなんですが、これから日本の人口が明らかに減少する中、今後の日本人、日本の社会が生き残る道も、いわゆる右肩上がりの成長だけが社会のすべてではなくて、安定した継続性のある社会を江戸に学びながら、リサイクルなど様々な仕組みを祖先に学び、これからの社会に落とし込んでいくのが、今を生きる私たちの使命ではないかと思っています。

岡田:
江戸の心、日常生活のありようは、それこそ「もったいない」「ありがたい」ということで、自分たちの中で何とかやっていこうという、これはとても学ぶものがあると感じますね…

神様に対する思いは「感謝」

清水氏:
神社・神様に対する思いというのも、そうした、感謝の祈りをささげる場所であり、「ありがとうございます。」という謙虚な自分に立ち返り、感謝の祈りをすることで、神社というものの意義に触れていただけるのではないかと思います。

神社のレゾンデートル(存在価値・存在意義)

神社は日本中に約8万、お寺さんは7万数千あるんです。コンビニの数より圧倒的に多い。お寺離れですとか、宗教的儀式をしない風潮はありますが、人間が矛盾を抱えて生きていく中で、AIなどがどれだけ発展しようとも、現代社会において必要なものであることに変わりはないと私は思っております。

1300年以上の歴史を経てもその価値が揺らぐことなくあり続けている。こうしたことからも、現代社会における、神社・お寺の意義、宗教が存在するレゾンデートルをしっかりと考えていきたいところです。

宗教とは何か、を考える。

宗教、レリジョンというのはもともとラテン語で「縛る」という意味です。私たちは、人間関係、家族、会社、様々なものに縛られて、関係性の中で生きています。そうした人間の心というのは、関係性の中で自分の立ち位置を常に確認しながら、自分の命を全うして、自分の価値感を自分自身でちゃんと生み出していく。そうした価値観を神社は与えてくださります。神社は「心のほっとステーション」みたいな場所です。疲れたとき、くじけそうなとき、お寺や神社にお参りをされることで、もう一度生きる喜びを取り戻す、そんな場所だと思います。

「勤労観」をあらためて定義する。

そうした意味において、仕事というのは、ほとんどの方にとってレイバー(苦役)でしかないんですね。キリスト教で言えば、アダムとイブが、禁断のリンゴを食べたことによって、天上世界から追放され、そこで苦しい労働に携わらなければいけなくなった。そういう、神が与えた苦役としてのレイバー(労働)という考え方があるのではないかと私は思っています。

しかし本来、日本人の勤労感というのは、そういうものではなくて、自分たちが、豊かな国づくりをするために、人と人とが助け合って生きていくという、協調しながら働くということかと思います。

「働く」とは「人が動く」と書きますね。あれは日本で作られた漢字、国字なんですけれども、いわゆる傍(はた)を楽にするという俗説があります。自分の奥さんであったり、子供であったり、職場の同僚であったり、隣にいる人々を助けながら、するのが仕事、それが日本人の労働感なんです。

第4部

  • 00:00 これからの「生き方」
  • 01:39 神話が教えてくれる生き方のヒント
  • 04:04 神田祭 いのち継承の形
  • 08:27 パンデミックにおける神田明神とこれから

これからの「生き方」

岡田:
人生100年時代と言われている中で、これから自分自身のために、社会のために生きていく、そういうところで人というものは生きがいが見出せるのではないかと思います。宗教的なものから学ぶこととして、私たちがよく生きていく、納得して生きていく、自分らしく生きていくと思うときに、神社とか、神様の世界に何か答えがあるのかなと思っているのですけれども…

神話が教えてくれる生き方のヒント

清水氏:
クリスチャンの方が聖書の中に、困難なときに生きる道筋を見つけられたり、もちろんお坊さんの言葉にもそういうことがあると思うのですが、日本人が、1000年、2000年という歴史の中で、本当に素晴らしい財産をたくさん古典、特に「神話」と言われているもの、いわゆる古事記や日本書紀、万葉集といった書籍の中には、生きるため、人がなぜ生きていくのかということを、しっかりと教えてくれる知恵があるはずなんですが、なかなか日本人はヨーロッパの教養には学ぶことを、常に積極的にするんですが、日本のそうした古典を中心とする、神話をはじめとする文化にはなかなか学ぶチャンスが少ない。

例えば、私が好きな「慎みて怠るな」という神話の言葉があります。これは日本武尊という古代の英雄が、最後の戦に出るときに、伯母様から賜った言葉なんですが、「常に人間は、慎みながら、前へ進みなさい」ということを語った言葉なんですけれども、日本武尊は最終的には、自分を大きくしすぎてしまって、相手を見くびって、戦に敗れてしまうんですけれども。常に身を慎みながら努力を重ねなさいという、そうした生きる知恵をしっかりと与えてくださっていたりとか。私たちがどう生きていくかということに関して、日本の古典、平安時代のものも、鎌倉時代のものも、実は本当に豊かな文化の蓄積があるということも、ぜひ皆様に改めて学んでいただきたい。そして、少しでも神社やお寺というものに触れていただいて、そこに込められている価値、レゾンデートルをしっかりと見直していただくことによって、新しいリスタートができるよう…

神田祭 いのち継承の形

岡田:
そういう核となる考え方を一般の人たちにも伝えたのが「神田祭」という一大イベントでしょうか。神社の考え方を、生活の、お祭りの中で普通の人々に伝えてきたのかなと…「神田祭」についてお話しいただけますか?

清水氏:
神田に生まれて育った人間にとっては、生まれて、まず神社、神田明神で、お宮参り、お父さんとお母さんに連れられて赤ちゃんが来て、お祓いを受ける。そして大きくなると七五三。そして成人式、結婚式。人生の節目が神田明神で彩られ、壮年期には御神輿を担いで、そしてお年を取ってからは神酒所の管理をする。町会の役員としてのお務めをして、そして最後、死を迎えるときには、自分の棺桶の中に祭半纏を入れて、「木遣り」と言いますけれど、鳶の頭が歌う労働歌で送られていくというのが、神田に生まれて神田で亡くなっていく。人生すべてが、神田明神と神田祭によって彩られていく。それがこの祭、この神社との関係性なんです。

そうした神田の人にとっては、心の底から自分の存在の、レゾンデートルを、この神社に求めて、そしてその祭を通して自分の生きざまを表現していく。祭というのは一人ではできませんので、常に大勢の方々と、調和をしながら、御神輿を担いだり、様々な行事をこなしていく。それこそが、人間の生き方、日本人の生き方、神田の文化、庶民が助け合っていかなければ、生きていくことができない。大震災・火事・地震など、都市というのは災害に弱い歴史です。そういう中で災害が繰り返されるたびに、助け合い、信じあい、それが祭であり、神社に対する思いであり、それによって人々が命を継承してきました。

今の現代人は祭といっても、遠くからフェスティバルとして眺めるだけで終わってしまうんですけれども、そうではなくて、祭というのは、その人の人生そのものであり、生きざまでもあり、本当に深いものだということを少してもご理解をいただければありがたいと思います。

岡田:
一緒になって、お互いに助け合いながら盛り上がっていくという。いろんなことがある中で、自分自身の支えになっているということですね…

パンデミックにおける神田明神とこれから

清水氏:
神社もコロナでお参りが激減いたしましたし、お祭りも御神輿は「密」の最たるものですから、全然開催ができない。神社にとってもパンデミックというのは、大変大きな負の足跡を残して、人と人が分断・対立・孤立、そういった社会にどんどんなってきて、悩む人が多い。その中で伝統宗教の我々も、神社自身が大きな痛手を受けてしまって、お客様の減少、結婚式もブライダルも全然できない。様々な形で大きな痛手を受けつつも、もう一度心の回復を、これから神社も、DXやICT含め様々な手段を時代とともに学ばせていただいて、1300年、1500年に向けて、新しい神社の姿を作っていかなければいけないというのが今の課題です。

岡田:
昔は心の拠り所として命と密接していた神社が、現代社会では伝統行事・イベントというように、ちょっと自分の存在とは離れたところにあって、「見に行く」とか「観光に行く」というようなところにあるような気がするのですけれども、今日においては、パンデミックや不穏な情勢によって、むしろ私たちの中心に神社という存在が据えられてくる、心の拠り所として、私たちが生きるということと非常に関係している時代にまた戻ってきているように感じました。

清水氏:
そう感じていただければ、ありがたいです。

岡田:
今日は本当にありがとうございました。

(2022年3月)

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