ハラスメント相談の現場からVol.57 伝言文の危うさ

Vol.57 伝言文の危うさ

「コーヒーは80度くらいで淹れるのが美味しいらしいよ」、「国内最古の鳥類化石が発見されたんだってね」。平和なトピックスについて日常的に交わされる会話です。自分が直接、見たり聞いたりしていない事柄について話すことはよくあります。また、話に余韻や曖昧さを残すよう、日常会話で伝言文を活用することはしばしばあり、お互いを慮る大切な生活の知恵と言えるでしょう。しかしながらこの工夫は、一方で伝聞形の会話を活用する弊害を起こすことも考えられます。

某社人事部門に長年勤務するAさんは、5年前に社内相談窓口を開設して以来、さまざまな悩みごとの相談を受けてきています。開設当初は相談も少なく、「思い余って」、「意を決して」、「覚悟の上で」自身の抱える“問題”について相談するケースがほとんどでした。最近、Aさんが気がかりなのは、「〇〇と聞いた」、「どうも××らしい」、「たぶん、△△なんじゃないか」と、“問題”が噂で耳に入ってくること。実際、窓口に案件として上がり、関係者に事実確認調査を行っても情報が伝聞の域を出ず、問題解決の入り口にすら立てないことがあります。調査対象者たちが多かれ少なかれ防衛的になってしまうのは致し方ないとしても、“問題”を声高に申し立てた後、「自分のいる所、いる時にはそういうことはない(ので、実際のところは分からない)」という注釈を付ける人、「私自身はそこまでは思わないけれども…」と前置きの後、他の人たちの名前を借りて“問題”のリストアップに入る人など、めずらしくありません。そして、そうした“問題”には、ほぼ決まって発言者の価値観に基づく感想が尾ひれのように付着し、果たして誰から聞いた話なのか、自分の体験に根差す話なのか、聞いている人はもちろん、話している人自身、混乱している場合があります。

ここで看過できないのは、職場で生じる出来事について「自分の発言に責任を持とうとしない姿勢」です。「それは私が言ったんじゃない」、「〇〇さんの意見だから…」と責任回避できてしまう会話は信憑性に乏しく、発言者への信頼度も損なわれるでしょう。何より、せっかく俎上で解決への鉈が振るわれるのを待っている未解決の“問題”が核心に至らず宙に浮いてしまうのは、残念としか言いようがありません。

私たち一人ひとりが、職場を構成する重要なメンバーであり、会社側だけでなく、誰もが働きやすい快適な環境を作る責任を負っています。「誰かの言った何か」を自分事として考え、よりよい職場をつくる責務が、職場で働く誰もに、あるということです。

(株)クオレ・シー・キューブ 志村 翠 (2019.12)

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